月刊駄美術図鑑 2009

「誰かの思い出200円」

展覧会をやるきっかけが、他人の展示を見て「こんなんでも美術と言うのなら、
ギャラリー借りて作品置いたら明日から俺らでも作家先生やんけ!」
という今にして思えば青臭い衝動が全てのはじまりでした。
第2回目の「現代美術100連発」では、「なんでもかんでもゴミでも適当に 並べたれ!
作品の質?関係あるか!数で勝負じゃ!」という勢いだけで、当時3人だった メンバーで
合わせて100作作って並べるという、ただその行為が馬鹿馬鹿しいから やってみました、的なこれまた若さゆえのイカ臭さみたいなものが溢れる展覧会でした。

もう16年も前のことなので、正直自分が何を作ったかあまり覚えてなくて、 他のメンバーの
作品のことのほうが覚えてるくらいで、作品自体も紛失したり 壊れたりと半分くらいしか
現存していません。個人的にはハマダの作った 模型の恐竜の首に十字架をかけただけの「恐竜はクリスチャン」という作品が 突き抜けすぎていて今でもちょくちょく思い出しては
笑ってしまいます。

で、今月の駄美術はそのときの展覧会に出品した「誰かの思い出200円」。
神戸の高架下にあるジャンク屋のガラクタの山の中に、ダビング済みのカセットテープが
10本くらいまとめて200円で売っていて、こんなん誰が買うんかなあーと思っていたら
気がつくと僕が買っていました。
再生するのもなんとなく前の持ち主の思いがこもっていそうで気持ち悪く ずっと
ほったらかしだったのですが、この100連発展で作品ということにして ひもで結わえなおして展示した次第です。
個人的には誰かの思い出供養のようなイメージだったのですが、この後10年以上続く
二等兵不遇時代はもしかするとこのカセットの呪いだったのかもと思うとゾッとします。


「茶色いドアと猫」

突然ですが 昨日まで入院してました。
なんか 耳鼻科で鼻の奥にポリープがあると言われて 「じゃ 切ってください~。」と
軽く言ったら 10日間も入院するハメになってしまいました。 全身麻酔での手術で、術後に
きれいに傷が治るまで安静と洗浄が 必要だったんですが、展覧会直前のこの時期に入院というのは結構ヘビー!! 退院後に大慌てでいろいろやってます。

本人もそうですが 周りも大変だったようで いろいろご迷惑おかけしました。この場をかりて
お礼申し上げます。

うちの猫も 大変心配したそうで、毎晩 玄関で寝ていたそうです。 いつ帰ってきてもすぐに
会えるように 忠犬ハチ公のように待っていたと…。 忠猫びち公ですな。

うちもシェーンちも 猫を可愛がっていますが、意外と猫系の作品は少ない。
なぜかクマは多いんですが…。

探してみると  以前、新美敬子さんの写真集を見て、無性に猫とドアがつくりたくなって 作ったものがありました。 そのときは 9×9センチのサイズを基本として畳やブロックのように作品を作ると、あとで いろいろな作品を自由に組み合わせられるのでは というコンセプトで いくつか作ったものでした。

じっと待っていた愛猫「びち」に敬意を表しまして 
今月は この作品をご紹介します。

入院中はもちろん作品の制作ができなかったのですが、 退院後も
ずっと猫がひざの上に乗っていて、制作が進みません。 困ったものです…。


「Aさん包装紙」

小学生の高学年になった頃から、深夜ラジオを聞きだし、 大人の世界に首を突っ込んだ
気になっていました。
関西ローカルですがMBSのヤングタウンなどはほぼ毎日聞くマセガキでした。
当時はがきコーナーで「豊中市の匿名希望さんからのお葉書です」 などというのを聞くと
「いろんな所に同姓同名がおるねんなあ…」と 各地の「とくめいきぼう」さんの存在を
信じ込んでおりました。
程なくそれは思い間違いであるのに気付き、穴があったら入りたい気になりました。
それと他にペンネームというのも意味が分からず、所謂その人の 周りで成立している
あだ名の事だろうと勝手に思っていたのです。
「夢見るこぐまさん」とか「まっちゃんLOVEさん」とか・・・自分がそんな風に 呼ばれたら
いややわー、とちょっと勝手に気恥ずかしく思っていたのです。

しかしハガキで自己主張したい人なのに、匿名にしたり仮の名を名乗るというのは どういう
心境なのでしょうね。違う何者かになった方が素直に言いたいことが 言えるからなので
しょうか。某巨大掲示板などはその最たるものですね。
かく云う私もシェーンとかほざいているので人のこと言えないのですが。

さて今月の駄美術「Aさん包装紙」。この夏に大阪の雑貨店&ギャラリーのオソブランコ さんで複数のクリエーターさんがA3サイズの中でレトロ印刷を使って表現をするという
グループ展に出品したものです。一部伏字の匿名感を出して「A」つながりで著名人を
A3サイズの包装紙に仕立てた作品です。良く考えたらロック界のビッグなあの人は
「A吉」でなく「E吉」でした。この場を借りてお詫びします。
ちなみにこの作品はいっぱい余っていますので秋の展覧会にて販売予定です。ヨロシク!


「アナログ時計」

突然ですが 人間の目(脳?)って 勝手に補正していると思います。

スキャナーで新聞や雑誌のページをスキャンしてみると  なんか裏ページの文字や画像が透けててすっごく気になります。 普通に雑誌を見てるときにはぜんぜん気にならないのですが、 それは「これは雑誌だ」という認識で見ているため、目が補正して 気にならないようにしてるのだと思います。

こないだ職場で送別会があって、飲み会の席で写真をバシバシ撮られてて、 後日、それが回ってきたのですが、なんか写真で見ると  みんなしわとかしみとかあって すっげー老けてる。思ってるより老けてるんです。 普段はじっくりヒトの顔を見ているわけでなく、だいたいで判断して 「ああ ○○さん」と認識しているだけで、勝手に記憶の中のそのヒトの像で 納得してるのでしょうが、写真という媒体になった途端に 雑誌やグラビアと 同じ扱いとなって じっくり見てしまうのでしょう。 不思議です。

テレビ画面の「アナログ」って文字もなんか慣れてきたのか  気にならなくなりました。頭の中で勝手に排除してるのかもしれません。 ん?単に表示の文字サイズが小さくなっただけ?

さて 今月の作品は 「アナログ時計」。別名「わかっとるわ!」です。 普通に使っていると 目の補正機能で文字が気にならなくなります。

「鮮度封印」

いつか作品の材料にしようと思ってストックしているガラクタがあります。 何に使うと決めてるわけでなく衝動買いした大小のコルク栓とか、縁起ものの 熊手のミニチュアや、子供が
使わなくなったキャラクターグッズとか。 他にも粘土や接着剤や染料、布の端切れや貝殻、便所の蓋やパソコンのキーボード スコープをのぞきながら耳垢を取る道具etc….
接着材や粘土はもう使ってしまったと思い込み再度購入、後日使いかけを発見→ 結局
使い切らずに乾燥させてしまう→反省の繰り返しです。 いつか使うかも・・・っていうのは
ストックした時点で自分の中で消化してしまうというか、 ネタ切れしないだろうと安心する為にストックしてるのかとさえ思います。

  で、今月の駄美術「鮮度封印」なのですが、数年前のホテル展で出品した 風呂場に
設置したインスタレーション作品です。
間違って風呂場に産卵したウミガメを布団圧縮袋で封印したという シチュエーション(そんなものは無いのですが)を再現しました。 実はこのウミガメの剥製ですが、この展示のさらに
数年前に知人から作品用にと いただいたもので、「これは何か使えるで!」と思って
いたのですが、なんというか そのもののインパクトに押されてしまい、作品化ができなかったのです。 加工しなくても変なパワーがあり、家人に気持ち悪がられつつ何年もストック していたのがやっとここで日の目を見たのです。

ただ、このときの作品もインスタレーションという性格上、その空間の 素材として
設置しただけなので、今は又もとの剥製のまま家にあります。 しかも卵に模した大量の
ピンポン玉と一緒に段ボール箱の中で眠っています。
又そのうち姿を変えて駄美術になるのを待っているかのように。

「竜盤目小間物類」

4月のシェーンの作品を見て ああ 俺も昔の作品紹介しよっと 思ってたんだった。
大学3年のときにつくった作品「竜盤目 小間物類」。
ああ恐竜!と思って近づいたら 巨大なキーホルダーでした ってモノ。
こう書くと まあ アレですけど。 もう既に「駄」ですね。

他の人は 石や鉄で作ることも多く、よく搬入搬出の手伝いに行きましたが、 自分は
なんとなくこっぱずかしくて、なるべく自分ひとりで設置できるものを作ってました。
これもこのサイズながら発泡スチロールにアルコール性樹脂というものを
コーティングしたもので非常に軽く、2分割できて、一人で運べるようになってます。

これは年度末に京都市美術館で行われる制作展に出したもので、 全生徒が作品を出展するので、搬入もお祭り状態で 一人でえっちらおっちら 運んでいるわけにも行かず、たくさんの人が一挙に運んでくれました。どもすいません。

各作品の設置場所を決めるときに「あんなんの横はイヤや~!」と 先輩に拒否されたことを
痛烈に覚えてます。 そ~ですね~ マジメに形や色を吟味して表現してる人は
一緒にされるのは侵害でしょうね~。 どもすいません。

大学時代は制作場所も搬入手段も心配することなく、 大きいものをつくってましたが、
卒業した途端に それらに困り、 普通にリビングで作るようになると 
一挙につくるものが小さく小さくなってきました。
最近は人生ゲームのコマや米粒を作品にしてるくらいですから  縮小方向に
歯止めが利きません。もうすぐ髪の毛に文字を書いたりしそうです。

これを読んでる学生の方がいたら ぜひ言いたい。
大きいものをつくれ! 急げ若者!

「ひきこもりダルマ」

もう一般的な言葉になった感がある「ひきこもり」や「ニート」。
昔はそんな言い方しなかったような気がして、じゃあどんな呼び方 してたかなあと考えると「ごくつぶし(穀潰し)」とかだったような。 それと比べると随分オシャレ感がアップした呼び方で、オブラートに 包んだようで、なんと世間は優しくなったものだと思い知らされます。 しかし「穀潰し」とはすごい言葉で、ただ飯を食うだけで何も生産性 のないことを言うのでしょうが、酷い言われようですな。
これって見方を変えれば、飯を食えば当然出すモノを出すわけで、 言い換えをするなら
オシャレ方向でなく「くそひねり(糞ひねり)」とか。
ちょっと横文字的すると「ウンコマシーン」などでしょうか。
少し絶望的ですね。呼ばれた日には。

さて今月の駄美術「ひきこもりダルマ」。つらい修行に耐えかねて
僧衣の中にひきこもってしまった内向的なダルマです。
以前紹介した「ぐれダルマ」の方は修行がつらくなって、 はけ口がツッパリ方向へ
向かったダルマでしたが、こちらは内にこもる タイプのダルマ。ご飯のときくらいしかチャックを開けて外界と接触すること が無い、まさに「穀潰しダルマ」をイメージして制作しました。

「ハリウッド版」

 日本人なら大抵の人が知ってると思うのですが、チロルチョコってありますね。 最近は
いろんな味が出てまして、こないだ「宇治 まっ茶 もち入り」って やつを食べました。
で、
食べながら包み紙をなんとなく見ていると 「ぷれみあむ」 とか「モンドセレクション金賞受賞」とか書いてあるのですが「チロルチョコ」って 商品名が書かれてない!! よーく見ると社名としての「チロルチョコ(株)」は小さく読めるのですが商品名の 表記としては 無い! そんなのありぃ~? ちょっと目からウロコというか 衝撃でした。 あのサイズ、形状が意匠登録されてるのか?他のメーカーがあのサイズのチョコを 出したら怒られるのか?あのサイズのガムだったらどうなのか? いろんなギモンが もやもやとふくらんできました。
これはまだ正面に「まっ茶」って書いてあるので味は理解できますが、「みたらしだんご」味 なんて 5つのパッケージに渡って「みたらしだんご」って文字が分割されていて、 1つだけ見ると「たら」とか「んご」とかしか読めない。これもすごい。 アイデンテティが確立されると けっこう自由になっていくもんですね。

さてさて ちょっと話はかわりますが
大河ドラマで認知度が上がってきた直江兼続なんて兜のデコにでかでかと文字が書かれてる。 「愛」って もちろん名前ではないけども わざわざ文字をデコにつけるというのは  自分に何が書かれてるか当てるパーティゲームみたいですね。

なんでもかんでもリメイクするハリウッドで作られたら カンチガイされて勝手に ここも訳されるのでは…と つくってみました。 本当は諸説あって いわゆる「love」の「愛」ではないみたいですが…。

「嘘壁」

今月はいつもの駄美術ではなく番外編として大学の頃の作品です。 ネタ切れか?との声もありましょうが、まだまだ駄美術作品はありますので それは又来月以降ということで。
で、この作品は1回生の制作展に出品したもので、高さが2メートル以上もある 僕の中では大作の部類です。 彫刻基礎課程というものがあり、鉄や樹脂、木、石と一通り素材を
体験するのですが、 これは鉄板を溶接したり、穴をあけたり、溶断したりと、
習いたての技術を駆使して 作りました。
コンセプトは「すべてのあらゆるモノはいずれ等しく必ず朽ちる。」みたいな。 諸行無常てなかんじを、錆びた鉄板のパッチワークと、そこからのぞく ひび割れた土壁で表現しました…。うわー、青臭さっー!赤面ものですわ。 今思うと、何かわざと難しいコンセプトをまるで心の底から思ってるふりを しながら作っていたような気がします。このあと卒業するまで、
それらしい 所謂“作品風”に仕立てることに終始してました。
それは窮屈で、バイトの依頼仕事を作ることのほうがよっぽど楽しかった気がします。 今はその頃の反動も少しあるのか、「正直に作ろう。」みたいなことは常にあって ええかっこして、眉間にしわよせて考えてるふりするのは自分的には すごく逆に格好悪いからイヤやなあと。
それで作ってるのが今の駄美術っていうのも説得力ないですが。
あ、この作品ですが、制作展後も彫刻棟の作品置場みたいなとこの防風壁みたいな
かんじで4年間みんなの大切な作品を風から守ってました。
糞の役程度はたったということですな。

「作品サンプル」

手前味噌な話でナンですが…
このサイトを2003年に始めて、毎月このように作品を紹介してるのですが
これって もしかしたら けっこうスゴイことなんじゃないの? まあ二人で交互に担当してるとはいえ、今回で75作品目。 美術作家の方のサイトはあまり見ないのでわからないのですが、 こんなに毎月毎月発表してるのでしょうか?

もちろん週刊雑誌の連載の方にはかないませんが、美術作品ってジャンルに 限るとかなり異例なのでは?? 意外とギネス級のコトだったりして。

あのギネスってのは まずは自己申告するのでしょうか? 記録の概要とか書いて。 作品のサンプルとして 洋食店の食品サンプルのような こんな作品とか 付ければいいんでしょうか?

「かに山水」

皆さん「かに」は好きですか?もしかしたら日本人は 世界で一番かに好きかもと思うのですが如何でしょうか。 特に今頃の冬はまさにかにシーズンで、一泊二日の かに食い三昧の温泉
ツアーなんかも人気が衰えたなどとは 聞いたことないですね。かにづくしとか言って、
かにすき、 焼きがに、かに刺身、かにフライ、かにめしetc そんなに食べたらからだに
ブツブツ出来そうな気もするのですが。 まあ、ムキになるくらい美味しいのも事実。
正直ツアー行きたいです。

おととしの個展「かに展」開催後「かに好きなんですか?」 と問われることが多く、そんなもん嫌いやったらそんな展覧会 するかあ!と思うくらいまあ、好きですね「かに」。
何に魅かれるかといえば、あれだけ種類がいるのに、99%近くが 横歩きメインということ。
別にフォルム的に普通に直進してもいいと 思うのですが、かたくなまでの横歩き。たまに
やっても後ずさり 偏屈なのか、阿呆なのか。やっぱり素晴らしいですね、かには。

さて今月の駄美術「かに山水」。水のない庭を、かにや砂を 用いて海の底に見立てた、
日本庭園への提案。「枯山水」あるん やったら、これもアリちゃうのん?という勢いで
制作しました。 材料調達に産地直送のかにを買って、必死で食べました。
正直しばらくかには食べるのはええわ、という気になってたのですが
また最近無性にかにが食べたくなっています。

「電池のしくみ」

昨年末、そしてこの1月、トークショーをやらせていただくことになりました。 どちらかというと
そういうことが苦手なので、本人ではなく 作品をつくることで自分を表現しているのですが
作品をつくり続けることで 本人がオモテに登場する場が できてしまうというのは 
不思議ですね。

昨年、京都で話させていただいたのは「これは美術じゃない!」と 言われたことに対しての
言い訳のような 愚痴のような 恨みごとのような そんな話がメインになってしまったように
思います。 「美術かどうかなんて 気にせんでもええのに~」といいながら 我々自身が
一番こだわってるような気がしてきましたが…。 今年こそ そんな話はスパッと忘れて 
ステキなことに目を向けたいですね。 えーと バーベキューに 海水浴に 屋久島ツアー…って こりゃ ますます美術と離れていく一方っすね。あららら。

まあとにかく 我々の作品は美術的に認められないのではありますが、 単に既製品を
使っているだけではありません。 結構 手間もかかってるんです。

たとえばこの「電池のしくみ」。
パッと見では このちっちゃい人の細工に目が行きます。 コレは鉄道模型のフィギアの改造。コレが大変だと思われがちですが、 この透明の電池そのものをつくるのが実は
大変だったんです。 直径の近いアクリルパイプを切って 上下の部分は本物の電池を
型取りし、樹脂を流し込んでつくったもの。 置くと見えませんが底に当たるマイナスの面も
ちゃんとつくってあります。 しかも 手回し発電ライトを分解し、回すと電気が起きる機構も
入れたので 物理的にも正しい(?)モノではあります。 実際には回してくれるちっちゃい
おっさんはいないので正しいとは 言えませんが…。

1月からだらだらと言い訳めいたことで始めてしまいました。 決意とはウラハラに今年も
いつも通りになりそうです。 今年もヨロシク!